Fight CineClub Round 30

 

 【日プロ大賞と立大S.P.P.】  ――キネマ旬報4月下旬号より


  • 私事にわたって恐縮だが、私が主催するインディペンデント系の映画祭、日本映画プロフェッショナル大賞が今年で10回目を迎えた(授賞式、4月14日池袋・新文芸坐)。中で今回、90年代のインディペンデント・シーンで最も活躍した人・団体に与える“ムービーキング・オブ・90's”を制定し、三池崇史監督と立教大学S.P.P.(セント・ポール・プロダクション)を選出した。
  • 三池崇史に関しては、今さら説明の必要はないだろう。説明がいるのは立教大学S.S.P.の方。これは、黒沢清塩田明彦、万田邦敏、篠崎誠らの監督たちが、立教大学在学中に活動拠点にした一種のサークル。ここには彼らの他、同大学の周防正行青山真治らの監督も出入りしていたという。
  • わが略称・日プロ大賞の選考委員たちが後者を選んだのは、現在活躍している監督たちの“出自”としての意味合いが立大 S.P.P.にあったことによる。それは、90年代に同時進行に活躍した団体ということではない。90年代に監督たちの幾つかの才能が共鳴的に蠢き始め、そのとりあえずの出発点にS.P.P.があった。だから選考者たちには、群体としてのS.P.P.出身者を賞揚したいという意味合いがあったはずだ。
  • 映画の歴史には、まさに共鳴振動的に才能者が輩出する時がある。日仏のヌーヴェルヴァーグという名称がそうであろうし、わがピンク映画の分野では、60年代の足立正生大和屋竺沖島勲監督の“夜の四銃士”もそうだ(90年代には瀬々敬久監督らの四天王もあった)。相互に何らかのつながりをもちつつ、才能者たちが一気に表現営為を爆発させるのである。
  • 間違いなくこの90年代、前出したような立大S.P.P.出身者たちの活躍が、日本映画の大きな部分を占めていたと言って差しつかえない。それは、わが日プロ大賞の結果に明らかで、91〜00年の間にそこの出身者の監督作品が、5度作品賞をとった。黒沢3回、青山1回、塩田1回。
  • おそらく、あるサークルを共通基盤にした監督たちが、これほど同時代に才能を開かせたのは、日本の映画史上稀な出来事ではないだろうか。ヌーヴェルヴァーグのような“名辞性”に代表される才能者たちは、当然ながらその時点で作られていた作品群とともに、ある表現活動を形成していた。しかし、S.P.P.出身者は、同時代に作られている作品群の“共通性”から今回選出されたのではないのが面白い。
  • 私は一度、ここの出身者たちの表現活動を、ある群体として徹底的に論じてみることが必要だと思っている。「どこまでもいこう」「カリスマ」「回路」「EUREKA(ユリイカ)」の監督たちは、いったい何をやろうとしているのか。そこに、果たして何らかの共通性はあるのかないのか。そのひとつの手がかりが、S.P.P.だと言っていいのだ。
  • 他の映画祭と違って、日プロ大賞は批評的な営為を内包している。活字とは別の、選ぶことそのものが批評となりうるような映画祭。その意味からすると、90年代のムービーキングに、三池崇史監督と立教大学S.S.P.が選ばれたのは、間違いなく一つの批評的営為になっていると私は考える。
  • 群体や名辞性に象徴されるそうしたジャーナリスティックな言い回しを、当事者たちが嫌うのは重々承知している。しかし活字畑では、両者から浮かびあがる90年代の日本映画シーンについては全くの手つかず状態だと言っていい。それは、映画ジャーナリズムの怠慢である。群体や名辞性から、一気に批評を構築していくやり方があったっていいではないか。
  • 今回の賞はその一つの突破口。理論武装ができている監督たちにビビらず、映画状況を面白くする義務が評論家やジャーナリストたちにはあることを忘れてはならない。
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大高宏雄 mail@nichi-pro.jpn.org
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